「戦国初の革命児」・「華麗なる天下人」三好長慶 ー戦国の世に『理世安民』を掲げるって、どんな人物?ー
三好長慶12歳は、脇城修築約半年で畿内復帰。主君仇敵細川晴元は、三好元長を怖れ自ら引き起こした一向一揆で元長を攻め自害に追い込む。しかし晴元は一揆を制御できず一向一揆との仲裁を一時仲違いの実弟阿波守護細川氏之を通じ、結果的に長慶が和睦の仲介人としての役目を、天文2年(1533)6月20日にこの難しい和睦仲裁を成就したことは歴史事実である。「本福寺明宗跡書」によれば、千熊丸12歳が独りで和睦を成立させたとは明記されていない。これを機会に強大な権力を持つ仇敵細川晴元に恭順し辛抱に辛抱を重ね実力を蓄え1549年三好政権を樹立。官領晴元は将軍と共に近江に逃亡。敵討ちに17年間を費やし、1553年長慶は胸中に秘めた『理世安民』を掲げ、「平和な民衆のための政治」を貫く12歳の颯爽たる若者が居た。その若者について紹介する。
種別 | まなびの森講演会 |
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講師 | 阿部 敏男(徳島県立総合大学校 とくしま学博士) |
開催日時 | 2025年9月20日(土)午後1時~午後3時 |
場所 | 徳島県立図書館3階 集会室1 |
定員 | 40名 |
お申し込み方法 | 【申込先】放送大学徳島学習センター TEL 088-602-0151 |