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宮城学習センター

宮城学習センター開設30周年記念ページ

放送大学宮城学習センターは平成3年(1991年)に東北大学片平キャンパス内に設置され、令和3年(2021年)に開設30周年を迎えました。

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宮城学習センター開設30周年を迎えて
放送大学宮城学習センター 
所長 高橋 満 

 放送大学宮城学習センターは,東北大学片平キャンパス内に1991年に開設され,以後,多くの学生を迎えて現在に至っています。卒業・修了生も2,000名を超える数となっています。2021年には30周年を迎えることができたことに,心から感謝申し上げます。

 放送大学は,生涯学習の学びの機会を広く人びとに開放すべく設立されました。しかし,そのときまで大学の教育機会が市民に開かれてこなかったわけではありません。1949年に制定された社会教育法では,公開講座や夏季講座を通して市民に大学教育の機会を拓くことを求めていますし,この宮城県でも戦前から東北帝国大学の教授陣が農村に分け入って講演をしてきていました。これは日本に限ったことではありません。かの相対性理論のアインシュタイン博士もドイツの労働者を相手に科学の講座を夜間に持っていたということも記録に残っています。ノーベル賞を受賞した最も先端的な研究者が,学歴を問うことなく,人びとに教育を行ったということです。

 余談になりますが,寺田寅彦は「アインシュタインの教育観」という文章で次のようなことを書いています。

アインシュタインはヘルムホルツなどと反対で講義のうまい型の学者である。のみならず講義講演によって人に教えるという事に興味と熱心をもっているそうである。それで学生や学者に対してのみならず、一般人の知識慾を満足させる事を煩わしく思わない。例えば労働者の集団に対しても、分りやすい講演をやって聞かせるとある。そんな風であるから、ともかくも彼が教育という事に無関心な仙人肌でない事は想像される。

 大学教育の開放は,フンボルト的理念である教育と研究の統合と並ぶ大学の本質的な役割の一つであると言われてきました。こうした国際的な潮流のなかで,放送大学の設立の何が画期的かというと,正規の大学教育の機会を広く開放する制度として出発したということです。放送大学では,学生たちはテレビやラジオなどの放送を通して学びます。この制度のなかで学習センターの大切な役割の一つは面接授業で教員が講義を通して語りかけ,対話をし,世代や年齢を超えて直接交流することにあると思います。これが放送大学の魅力の一つだということは,2020年にはじまる新型コロナウイルス感染症が増大するなかで改めて実感させられることになりました。

 放送大学に入学する理由は人により異なり,多様です。学歴や職業資格に結びつく科目を履修する方,退職後の余暇に関心のある科目を中心に学びを深めようと来る方など多様です。もちろん,知識や資格は大切です。ですが,放送大学の学生の方たちの学習歴を探ってみますと,資格だけに止まらず,学ぶ領域を次第に広げて,かつ,学びつづける方が少なくありません。なぜなら,資格取得やキャリアアップをこえて,放送大学での学びを通して,学びたいことの「興味・関心が広がる」,「学問のつながりがみえてくる」,「多面的視角,新しい視点をえる」,そして最終的には「自分を理解する」,「自信をもてる」など学生のエンパワーメントを支えること,さらに,「学ぶことが楽しくなる」ことによって,「生活の支え」となることを指摘しています。放送大学での学びは,自己を認識することのできる機会,暮らしが豊かに感じられるようになる機会であり,まさに生涯学習の理想の機関となっているのです。

 私たち宮城学習センターは,これからも学生の皆さんの学びを支えつづけたいと思います。宮城学習センターは,登録有形文化財として登録されるほど豊かな歴史建造物ですが,2020年には改装工事も終了し,新たな歩みを始めています。さらに,30年の歩みのなかで視聴学習室を気仙沼市,登米市,石巻市,角田市,大河原町に整備してきたことも,学習と学生同士の交流を支える条件となっています。学習機会にアクセスしやすい環境,教育方法,教育プログラムを整えています。

 この数年は,新型コロナウイルス感染症拡大という,これまで人類が経験したことのない状況に置かれ,入構・利用制限,受講学生定員制限など多くの制約をお願いせざるを得ない状況にあります。まだ出口も見えてこない状況下で,通常の記念行事を計画し,実施することもできませんでした。30年をふり返る記念動画,学習センター紹介動画をつくるにとどまっていますが,これを機会に一層の充実と発展を目指したいと願っています。

 最後になりましたが,これまで30年間にわたり多くの学生,同窓会のみなさんはもとより,教職員,母体校である東北大学,宮城県,仙台市,気仙沼市,登米市,角田市,石巻市,大河原町など自治体の皆さんに支えられながら歩んでまいりました。今後とも一層のご支援をお願い申し上げます。


30周年おめでとうございます❣
放送大学同窓会        
宮城野会 会長 佐々木美枝子 

 宮城学習センターが2021年10月で30周年を迎えられ,又,宮城学習センターの卒業生が2,000名を超えたとの事,重ねておめでとうございます!

 思えば,私が放送大学の門を叩いたのは1991年の10月で宮城学習センター開所と同じ年でした。高校では大学受験を目指して進学クラスで学んでいたが,当時(1964年)4年生大学に進める女子は1割程度,大学を卒業しても殆どが学校の先生。自分は他人に教える事等は出来ない。自分の自信のなさ(これは後で青春時代の精神構造と学んで知った)。高校の先生から奨学金もあるからとしきりに勧められたが・・。誰にも相談することもせず,家庭の事情や諸々の事情で大学進学を断念。"いつかきっと女性でも堂々と大学に入れる時代がきっと来る。社会に出てから勉強するのが本当の勉強だ"と。何の根拠もなしに自分でその様に決断した。そして,余り勉強もせずに受けた国家公務員の試験に合格し就職した。その後夜間の大学を考えたり,通信制大学を受けたが,スクーリング授業が毎年20日間あり,1年間は通ったが職員が少ない相談室,毎年20日間の連続した休みはなかなか取れず断念。

 そうこうしているうちに1991年10月,職場の中央廊下に貼りだされた放送大学のポスター。【いつでも,誰でも,どこでも】に自分の思っていた大学がとうとうできた。医療相談員という仕事柄"生活と福祉"を専攻。仕事と家事等何役をも担っての大学生。一大事業と考え10年で卒業しようと計画。最初宮城学習センターでは全科履修生を目指す事が出来ず,選科履修生として登録。スクーリング授業は東京に泊まりがけで行き単位を貰った。そんな苦労もあった。学んだ事はそのまま仕事に生きて大変強い味方となった。そして1999年9月,思ったよりも早く卒業。

 翌年3月,東京での卒業式に出席。祝賀会で"卒業しても放送大学に繋がっていたい人は同窓会でご活躍下さい"当時の渡邉信夫センター長の「次は同窓会ですね。」の言葉も後押しして下さって,後輩の為にも同窓会を作ろうと。2000年6月25日宮城野会を設立。一番相応しくない私が会長の重責を担う事となり,何故か2021年・今も会長を務めさせて頂いている。以来学習センターとは良好な関係で3月と9月の卒業祝賀会は共催,公開講演会等も共催で行っていた。2022年,宮城野会は3月5日,6日一年遅れの創立20周年記念事業と同窓会の第8回東北・北海道地区ブロック交流会を学習センターとの共催で成功裏に終えることが出来た。今後も同窓会宮城野会は宮城学習センターとはいつも良好な関係でいたいものです。

 放送大学は通学制の4年生大学に進学出来ない方々の為にも存在して頂き,又,人生100年時代多くの望む方々が学べる環境に,一役も二役も担って頂きたいと思います。

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