ホームページ

文字サイズ
放送大学
奈良学習センター

所長ご挨拶

所長ご挨拶
長寿の時代にあって、いまや「学び」は人間が長い生涯をかけて完成すべき営みとなっています。地域に根差した生涯学習の場として、放送大学およびその学習センターの役割はたいへん重要なものだと考えています。奈良学習センターは近鉄奈良駅から徒歩10分、奈良女子大学コラボレーションセンター内にあり、古都の落ち着いた雰囲気がそのままセンター内にも漂っています。ぜひ気軽にお立ち寄りください。
放送大学奈良学習センター 所長
三野博司
★プロフィール
2015年3月、65歳で奈良女子大学を退職したあと、24年勤めた愛着深いキャンパス内にある放送大学奈良学習センターの所長として、働く場を与えていただきました。研究分野はフランス文学です。フランス語教育に関して教科書や参考書を執筆し、文学批評の本を編集し、日仏文化交流の論文を書き、『星の王子さま』関連の本を出したりしていますが、研究の中心は、30年前に研究会を立ち上げたアルベール・カミュです。文学研究を通して、人が学ぶとはどういうことなのかを考えたいと思っています。
★所感
☆成熟ということ
若い頃、文学青年の端くれであった私は「夭折」ということにあこがれをいだいていました。若くして病死した、あるいは自殺した人の手記などを好んで読んでいたのです。そこにはなにかしら純粋な人生があるような気がしていたのですね。おとなにならずに、無垢性を保ったまま短い生涯を終えたいという、いかにも未熟で青臭い若者の考えることなのですが。
とはいえ、どんどん年はとっていくわけです。やがて「夭折」が無理だということがわかってきます。とすると、年を取ることがマイナスではなく、これをプラスに転じなくてはならない。そこで考えたのは「成熟」ということでした。
ところが、あるとき、現代は成熟するのが難しい時代だということに気づいたのです。人間が道具を使っていた時代には成熟ということが可能でした。道具のほうは変化しませんから、人間のほうが変化し、成長し、成熟していけば良い。こうして長い年月を経て、練達の職人ができあがります。ところが、機械の時代には、人間より先に機械が進化します。それまでに蓄えた知恵や技能は、すぐに時代遅れの、役に立たないものになってしまう。こうなると、熟練、老練というものが尊敬されるどころか、邪魔もの扱いされることになります。
こう考えると、どうも「成熟」ということもなかなかむずかしいということがわかってきました。じゃあどうすればいいのか。けっきょくは、人間もバージョンアップするしかない。何もしなくて、ただ年を取ることがそのまま「成熟」へとつながるような幸福な時代に生きているのではないと思ったのです。果物が時の経過とともに自然と熟するようには「成熟」できない。「成熟」するためには、それなりの意識的な努力が必要であり、それが生涯を通じての「学び」ではないでしょうか。
☆情報・知識・教養
現代は高度情報化社会といわれます。また数年前から知識基盤社会ということばも耳にするようになりました。そして、放送大学はひとつの学部である教養学部、そしてひとつの学科である教養学科から成っています。
この情報、知識、そして教養はどういう関係にあるのでしょうか。
小さなUSBメモリには膨大な情報がつまっています。しかし、そこに知識が満載されているとはいいません。知識とは情報プラスアルファなのです。また知識ある人が必ずしも教養のある人だとは限りません。専門知の持ち主が社会的教養や良識に欠けることはひんぱんに見られます。教養とは知識プラスアルファなのです。では、このアルファとは何か。
情報は整理され、登録され、ひとところに固定されて、倉庫のなかで行儀良く並んで眠っていて、他からの働きかけがあって初めて動きだすものです。それは「眠りの森の美女」のように、目をさましてくれる王子さまをひたすら待っている存在といえるでしょう。この眠る情報を目覚めさせ、活用する能力が備わってこそ、情報が知識へと変容するのです。
しかし、その能力を一体何に使うというのでしょうか。知識は使い方を間違うとおそろしいということは、歴史上の多くの事例が証明しています。そこで登場するのが教養です。教養は知識プラスアルファですが、このアルファとは叡智ではないでしょうか。言い換えれば、人生観や世界観という場合の「観」にあたるもの、すなわち大局的なものの見方。私の若いころの愛読書のひとつは宮本武蔵の『五輪書』です。剣術の奥義を解説した本ですが、そのなかで、武蔵は剣術において相手と対面したとき「観の目は強く」「見の目は弱く」することがたいせつだと説いています。細切れの知識ではなく、「観」に裏付けられた豊かな知見を備えていること、それが教養ではないでしょうか。
☆学びの場所
大学卒業後、一度も社会に出ることなく教員となった私のようなものは、小学校からずっと学校という場所に身を置いていることになります。この学校、そして大学のキャンパスは「学び」にとって特権的な場所だといえます。俗世間に交わらず、社会からある程度隔離されて、教室という空間があり、設備があり、そこに導き手としての教員がいて、ともに学ぶ仲間たちがいます。若い人たちには「学びの場」としての大学キャンパスは不可欠です。まだ学ぶ者として十分自立していないので、キャンパスという外的な枠組みが必要です。
けれども、放送大学で学ぶ人たちは、すでに自分なりの「学びのスタイル」を持っている方ばかりでしょう。自分のペースで、自宅にいて学習できる人です。学びへの意欲や、動機はとても強いものがあるでしょう。みずからの内的な規律にしたがって学びを深めていくことができる、換言すれば大学のキャンパスを内面化した人たちです。
とはいえ、ときにはともに学ぶ仲間たちの声を聞きたいとか、教員から直接指導を受けたい、学習上の困難について相談したいと思われることがあるでしょう。そんなときこそ、役に立てるのが学習センターです。自分自身の「学びのスタイル」を堅持しつつ、ときには他の人たちの「学びのスタイル」からも何かを学びとる。学習センターがそのような場所になれば良いと考えています。

2020年度より、奈良学習センター所⻑を務めています。専⾨は建築環境⼯学です。個⼈差や加齢に配慮し、光と⾊による安全で快適な視環境計画を⽬指してきました。前々任校の摂南⼤学⼯学部で10 年、前任校の奈良⼥⼦⼤学⽣活環境学部で25年、学⽣時代を⼊れると45年の間、光・視環境計画に関する研究・教育に従事しています。

そんな私にとって放送⼤学は⽐較的⾝近な存在でした。TV チャンネル変えているとき偶然に放送授業にであったり、⾝近な⼈たちが放送授業や研修の講師を務めたとか、また、放送⼤学で公認⼼理師やシニア産業カウンセラーの資格を取ったという話を聞いてきました。私⾃⾝も放送⼤学では、⾯接授業を3回担当し、2019年度は客員教授としてセミナー、学習相談、およびCOVID-19禍で中⽌となった2020年度研修旅⾏の企画を⾏うなどの関わりがありました。

とはいえ、⼤学の教育理念や運営などとは無縁でした。これまでの研究者⽣活とは⼤きく異なる職務に従事することの重責をかみしめつつ、地域に根ざしたより良い学習センターにしていくために、スタッフと⼀丸となり知恵を絞っています。地域貢献を念頭に置いた公開研究会(3〜4 回/年)や多彩な客員教員らによるゼミナール(104回/年)を企画し、⾯接授業(40講/年)には地域⾊豊かな授業を取り⼊れています。⽂化遺産に恵まれた古都奈良という地の利を⽣かした取組みを⾏っています。また、就任して初めて知ったことですが、放送⼤学では15 歳以上であれば誰もが科⽬履修ができます。所定の単位を取得し、18歳以上であれば学歴に関係なく全科履修⽣となることができ、学⼠(⼤学卒)の取得が可能です。教養学部では幅広い分野が学べ、博⼠後期課程まであります。広く⾨⼾が開かれたまさにOPEN UNIVERSITY です。⼈⽣における多様な学びのステージで、⼤いに活⽤して頂ける⼤学です。このOPEN なシステムが余り知られていないのが残念です。多くの⼈に伝えたい、伝えて頂きたいと考えています。

「教育の根は苦いがその果実は⽢い」という名⾔の通り、何時にあっても、学びは喜びをもたらし、可能性という芽を育みます。考える⽣き物である私達⼈間にとって、学びは養分であり、⼈⽣の営みそのものであるといっても過⾔ではありません。⼈⽣100年、⽣涯学習が謳われるなか、放送⼤学とその学習センターは多様な⽅々の学びを多様な⽅法で⽀援します。学習センターでは、放送⼤学の看板である時間と場所に拘束されない放送授業に加えて、講師との距離の近い⾯接授業・セミナー・学習相談・研修旅⾏を提供し、視聴学習・図書室と学⽣交流スペースを備えています。更にサークル活動・同窓会などの学友との様々な交流の場です。分からない事は事務室にお気軽にご相談下さい。近鉄奈良から徒歩8分、旧鍋屋交番きたまち案内所を通り過ぎて120mほど北の奈良⼥⼦⼤学コラボレーションセンター内にあり、利⽤しやすい環境が整っています。皆様の⼤切な学びの場として、奈良学習センターを活⽤して頂ければと思います。

就任以来COVID-19 禍が継続しています。諸々の制約の中で、最善の学習センター運営⽅法を探っていきたいと思います。皆様のご理解とご⽀援を賜りたく、宜しくお願い申しあげます。

放送大学奈良学習センター 所長
井上 容子

ページの先頭へページの先頭へ